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まきのセレクト前夜 結婚・病気編

26くらいで結婚することになるんだけど、

正直結婚がしたいと思ったことはない。


自分の親を見ていたら、あまり必要性を感じなかったし、

父親と同じ血が流れていると思うと、いずれうまく行かなくなるだろう。

と、思っていた。


結局プレッシャーをかけられ、気づいたらそんな話になっていた。

という感じかな。


学生時代からそうだけど、周りが盛り上がって流されるみたいな感じ。


ただ結婚式は場所も良く、楽しかった。


瑞穂区にあるドイツ料理のツアディーレというレストランでやらせてもらった。


人前に出るのは好きじゃないけど、式が始まってみんなの前に出たら、

今日ここにいる人たちは、みんな自分の仲間だ。と思えて、気持ちの良い時間だった。


もともと一人の時間や場所が必要と思っていたけど、

結婚してそれが無くなった。とは思わなかった。


娘が生まれたのは30の頃かな。


感動というより不思議な感じだった。


今になって思えば最初の2か月くらい

一緒に住んでいなかったのが良くなかった。と思う。


やっと娘と一緒に暮らせると思って、仕事帰ってきた日。


あの日からおかしくなった。


病気の症状が落ち着くまでの日々は、辛かったことしか覚えていない。

と言えるくらいの日々。


なんでこんなことになっちゃったんだろう。と何度も思ったし、

もう修復不可能だな。と夫婦は冷戦状態。


お互い心に余裕が無いから、相手のことを思いやれないし、

夜、家に帰る途中の道で、いつも暗い気持ちになった。


娘に怒鳴ったりもした。さすがに叩いたりはしなかったけど、

泣かれるとどうすればいいのか分からなかった。


今でも娘に対して、当時の接し方、環境に対して申し訳ないと思う。

だから何とか挽回したいという気持ちでずっといる。


娘が2歳の頃、仕事も限界だった。


仕事の夢を毎晩見て、内容は次の日の仕事をしている。

朝起きて現実でもう一回同じことをするみたいな感じ。


ただお金を稼ぐために、必要なことをするだけだった。


あまりに余裕が無く、コミュニケーションもうまく取れず、

周りもどう接したら良いか分からなくなっていたと思う。


スタッフさんが店に来た時、あまりに俺の顔がひどくてビックリしていた。


ストレスがたまり、休みでも仕事のことが浮かぶ、

目の周りの皮膚がよくピクピクしていたんだけど、

あれはきっと病気の前兆だった。


分かる人には俺が仕事で何をしていたか、

分かってもらえてると思いたい。


冗談で俺が休む時は倒れる時。とバイトの子に話していたが、

ついに病気の症状が出る。


ある日、仕事から帰って、娘を抱っこして遊んでいたら、

背中一面に痛みが走った。


えっ、何?と思った。

その日、痛みが1度だったのかそれ以上だったかは覚えていない。


痛みは、毛穴1つ1つを針で刺されるような痛み。


鳥肌が立つ時にザァーってなる感じ分かるかな?

波のように痛みが走るんだよね。


あるタイミングで背中に、腕に、足に痛みが走る。

痛みの後、毛穴が赤く膨れる。


異常なことが起きている。


スタッフさんが看護師だから先生に聞いてもらったり、

自分も登録販売者で薬を販売していたから、自分なりに調べた。


なんでこんなことになったのか。

原因は何か、どうすれば治るのか。


スタッフさんの働く病院へ行って、病院では治せないことが分かる。


その頃には体が温まると痛みが出ること、

蕁麻疹の症状だということは分かっていたと思う。


なので、通常はきれいな皮膚をしている。


先生に状況を説明して言われたことは、蕁麻疹は原因が分からない病気。

ステロイドとかゆみ止めと保湿剤を出す。と。


原因が分からないならステロイドはいらない。と言ったら、

なんでステロイドがいらないのか。と怒っていた。


こんな人に病気が治せる訳がない。と思った。

全然勉強していないのが分かったし、薬は症状を一時的に抑えるだけだろ。


話していてもこっちの顔も見ず、パソコン見てるし、

他の患者は医者というだけで言うこと聞くかもしれないけど、

まだ俺の方が人の体のこと分かってると思った。


人の気持ちを感じる、想像することができない人間でも先生になれるのなら、

俺はその全員がクソだと思っている。


ほんとに体の仕組み、薬のこと分かってんのかな。と今でも思うよ。


他にも、町の皮膚科、漢方の皮膚科、皮膚科が有名な大学病院の先生が来る病院へ行った。


その頃にはネットで調べて、

コリン性蕁麻疹、後天性全身性無汗症ということが分かっていた。


大学病院の先生以外は、病気の名前も知らなかったし、

痛みが出る。ってこともちゃんと理解してくれなかったな。


当時で全国1万人くらいの病気でレアだったみたいだけど、

もう病院では治せないな。とはっきり分かった。


それから本やネットで皮膚のこと、添加物のことから、

食べ物がどうやって作られているかを調べた。


当時トランス脂肪酸って言葉も知らなかったのかな。


知れば知る程、おいおい食べ物ってこんな風に作ってるの。

表示の制度もおかしいじゃん。って。


ほんと知らないことばかりだった。

というか巧妙に仕掛けられてる。と思ったね。


こんなもん食えるか!ってマジで思ったよ。


だから知った時は、ほんと何も食べたくなかった。


そのあたりで木村秋則さんのことも知る。


病気になる前から、たしか本屋さんで表紙を見たことがあったはずだけど、

奇跡のりんごって、マジこういうタイトルつけるのうっとうしいわ。と最初思っていた。


けっこう本のタイトルって大袈裟じゃない?

そんな感じがしてさ、笑顔で表紙写ってるし、これはないわ。と。


でも病気になって野菜の作り方、農薬のこととか知ってさ、

りんごって。と思って読んだのかな。


で、この人めっちゃ好きだわ!と思った。

ロックじゃん!と。


もっと早く読んどきゃ良かったと思ったよ。


それから自然栽培のことを調べて、愛知県で自然栽培をしている人のところへ行った。


その中で豊田で自然栽培をしている人の畑に1年間毎週月曜日作業を手伝わせてもらった。


月1で農家の人を集めて勉強会もしていたし、このあたりでは有名な人なんじゃないかな。


その人が木村さんのところで研修を受けていたこともあり、

一度豊田に木村さんが来た時に話を聞いている。


自分のやり方でやった人だから頑固な部分も感じたけど、

良くも悪くも真っすぐな感じだった。


まぁそんな感じでいろんなことを知っていく。


そのうち卵はここ、肉はここ、野菜はここ。

みたいな感じでスーパーを回りだしてさ。


だったら自分で好きなもの集めた店やればいいんじゃないのか。って思い出すんだよね。


そろそろ来たでしょ?

まきのセレクトっぽい感じが。


ただ病気の症状はそのままで、体が温まると痛みが出るから、

お風呂には入れないし、温かいご飯もダメ、怒っても痛みが出る。


スポーツで逆転のシーンとかサッカーのゴールとかも嬉しいけど、体が痛くなるし、

娘が小さいからワーッと走って転ぶとき、あの瞬間、あっ!っと思う時も痛いし、

車で運転中、急に車線変更で入ってくる車にビックリしても痛くなる。


生活のあらゆる場面で体は熱くなって痛くなるから、

痛くなるのが怖くて、精神的にもボロボロだった。


感情が出ると痛みが出るみたいな感じでさ、

感情を無くさないといけなくて、どうすりゃいいのよ。だよ。


もう生きているのが辛くて、生きることを諦めていたね。


俺の人生なんだったんだろう。


先のことを心配して、今やりたいことを我慢して、やりたくないことをやって。


で、これかよ。


絶望的だった。


視界が白黒、モノクロのよう。

光が消えていた。


仕事は病気の症状が出る前、異動の話があった時に一度辞めたいと言っていて、

この先40歳50歳になっても、朝から夜9時10時までやるのは嫌だし、

そもそも楽しくないしね。


それをそのまま伝えてビックリされたけど、

とりあえずまだ次決めてないなら年末までという話で

数か月やるんだけど、その間に病気の症状が出る。


で、年末前に、辞めずに本部に来ないか?って話が出て。

本部は18時30分までだからってものあってさ。


もう店のシャッターを開けるだけで体痛いし、

商品もケースだと重いから、持ち上げると痛いし、

従業員の人には言わなかったから、ますます話かけづらい感じだよね。


そんな頃に話があって、もう生きてるのが辛いから、

それどころじゃないけど、事務仕事なら体動かさないし、

やってダメなら辞めようと思った。


で、本部に行ってなんとかやるんだけど、

1年くらいで限界で、休職か退職したいって話をして。


その上司にはほんと感謝してるんだけど、

辞めて収入無くなったら生活どうするんだ?と言われて、

半日勤務でやってみないか。と提案してもらうんだよね。


涙が出たね。


そんなこと考えてくれるんだ。

その人のために、この会社のためにできることはしっかりやろう。と思ったよ。


めちゃくちゃ長くなったな。


ここまで読んでくれた人いるのかな。


でも長さ気にせず、好き勝手書けるのはいいね。


実はもっといろいろ細かいところはあるんだけど、

病気編は数回に分けた方が良かったかも。


結婚生活だって楽しいこともあったし、

写真でみると娘が小さい時も笑ってる写真あるんだよね。


でも、あまりに黒く塗りつぶされた時代。


次は仕事が半日勤務になってから。

ちょっとずつまきのセレクトが見えてきたね。

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